1965年
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飯島 篤を代表としてISP飯島舞台写真研究所を東京都西多摩郡羽村町 (現:羽村市)を立ち上げる。
この時期は飯島 坦の東京芸術大学美術学部を 6年間かかって卒業を待っての出発
だった。
飯島 篤は自らアマチュア劇団を率いたこともあり演劇―新劇の撮影を目標にしていた。
村山知義先生の東京芸術座、劇団東演、そして山本安英の会を撮影していた。
飯島 坦はアマチュアの音楽―吹奏楽、合唱、マンドリン、ハーモニカ、ギターなどの定期演奏会そして合唱コンクール、吹奏楽コンクールなどの撮影に奔走する。
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1967年
1968年
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岡村昌夫(現・テス大阪社長)、谷岡秀昌、大森弘行のメンバーの入社の時期である。 |
1969年 |
はじめてバレエ、モダンダンスの撮影に入る。
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1972年 |
社名をスタッフ・テス株式会社と法人化する。
テスはギリシャ演劇の祖―テスピスから頂きました。
この頃、飯島 岱がテス・トラベル・コンサルタンツによって文化面で世界との関わりを持ちたいという希望で合わせてテス・カルチャー・センターを発足させます。
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1973年 |
ケニア国立劇場のメンバーの中からインターアフリカン・シアター・グループ14名を組織し、東京を中心に公演。シンポジウム等、大学を中心に文化交流を行う。
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1975年 |
<野生のエルザ>の著者、故ジョイ・アダムソン婦人を招き講演会を開く。野生動物の保護のための「エルザ・アピール日本委員会」を準備、設立、活動 に入る。
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1977年 |
Ballet & Dance「Tes Graphic」―写真を中心とした日本初のバレエ・モダン ダンスのグラフ誌を発刊する。発行者:飯島
篤、編集レイアウト:飯島 坦/故飯村 薫の布陣でのスタートだった。
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1985年 |
スタッフ・テス(株)の代表取締役の交替、社長に飯島 坦、会長に飯島 篤としテスグラフの編集長を阿波根 治とする。私の役目は財政面での立て直しが主眼であったと認識していました。それ故海外との交流のための(株)テス・トラベル・コンサルタンツは全員退職し廃止としました。
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1986年 |
ビデオ部門を設立し、テス・ビデオ・ワークスとする。
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1989年 |
ビデオ部門を独立させ、(有)テス・ビデオ・ワークスとする。社長に飯島 坦、取締役に大森弘行/故飯村 薫、テスグラフ編集長と会長を 飯島 篤が兼任。
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1990年 |
長年、大阪支社を仕切っていた岡村昌夫氏が社長となり、(有)テス・大阪と してこの年に新たな出発、現在に至っています。
創業者の飯島 篤が退社、AI写真事務所を設立しテスグラフ廃刊とする。
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2012年
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スタッフ・テス(株) 社員25名、専属15名。
(有)テス・ビデオ・ワークス 社員9名、専属4名。
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